福田寺行者堂〔公式サイト〕

金峯山修験本宗。修験道の開祖「役行者」の誕生地。奈良県の無形民俗文化財『蓮取り行事』のお寺。

TEL.&FAX.0745-60-6338   〒635-0052 奈良県大和高田市奥田496

刀良売
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役行者の母 刀良売御前


名を刀良売と言い、高賀茂氏の出自で、奥田弁天池の畔に住んでおられました。結婚しても中々子宝に恵まれなかったので、夫と一緒に弁天様に子授けを祈願する毎日を送っていました。ある日、独鈷を飲み込んだ夢を見て小角を授かりました。当寺は、この刀良売さまの菩提を弔うために役行者御自身が創建されたと伝えられております。

捨篠池の一つ目蛙(大和高田の民話より)

 「今から千二、三百年も前のこと。奥田村の東の池の畔に庵が一つあって、刀良売と言う女性が住んでおりました。刀良売さまは、葛木山などの山々で修行をし、あの大峯山を開いて日本の国に修験道と言う厳しい仏法を打ち立てた役行者のお母様です。
 ある朝、刀良売さまが池の畔を散歩していると、何処からか気持ちの良い音楽が流れてきて、辺りの露も五色に光り、まるで極楽のような様子になったのだそうな。その様子に刀良売さまがうっとりとしていると、池の中から一本の蓮の茎がするすると伸びて美しい蓮の花が開き、その上に金色の蛙が一匹輝いていたとさ。刀良売さまは心を奪われて、何気なく足元の篠を一本引き抜いて、ひょいとその蛙の方へ投げたんだそうな。すると、その篠はあろうことか蛙の片目にまともに突き刺さってしまった。突然、綺麗な音楽は消え、美しい景色も消え失せて辺りは薄暗くなり、蓮の華はすぼみ、蛙は篠を刺したまま池の底へ沈んでいったそうな。
 暫くして辺りに明るさが戻ると、池の中から泥色の醜い一つ目蛙が浮き上がってきた。それからと言うもの、池は捨篠池と呼ばれるようになり、この池の蛙は皆一つ目になったんだと。刀良売さまは、このことを気に病み、やがて亡くなられたが、その子の役行者は、
お母様の供養のために御堂を建てるなど色々としたそうな。」

このお話に登場した金色の蛙。
『本当には居ないだろう』と思われるでしょうが、刀良売さまのお墓を掃除していると、稀にそのお姿を現してくれることがあります。
・・・と言うことは、刀良売さまは、もう蛙さんからお許しを頂いたと言うことですね。